ボリビアの伝統的宗教的な祭典を体験する旅
オルーロのカーニバル
ラパスから南へ車で4時間程の距離にあるオルーロ。コロニアル時代に、スペイン人による近郊の銀鉱山採掘のための拠点として築かれた街です。ボリビア国内にある9都市(県)の中でも小さな街ですが、コロニアル様式の建物が美しい姿のまま数多く残されているのも魅力の街です。
オルーロといえば、世界的な人気を誇る「オルーロのカーニバル」が開催される街として有名です。2日間に亘る壮大なパレードは、宗教的また文化的価値の重要度の高さから、2001年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。オルーロのカーニバルで披露されるダンスで欠かせないのが、「ディアブラーダ」です。ディアブラーダは、鉱山内の奥深くに潜む悪魔を祭るダンスで、30kgを超える衣装を身纏い踊るダイナミックなダンスは見る人を圧巻させます。
場所:オルーロ
開催日:2月または3月※キリスト教で用いられる典礼暦により開催日が決まります。
中世バロック・ルネサンス国際音楽祭ミシオネス・デ・チキトス
世界最大級の中世バロック・ルネサンス国際音楽フェスティバルとも評価されるミシオネス・デ・チキトス音楽祭。1996年から2年毎に開催され、世界各国から累計285を超える音楽グループと総勢4687人のミュージシャンが集いました。今まで催したコンサートの数は800回を超え、音楽祭に訪れた来場者の総合計は37万人以上にも上ります。
国際音楽祭が開催されるチキトス(またはチキタニア)地方は、ユネスコ世界文化遺産にも登録されたチキトス・イエズス会伝道所群があることでも有名です。17世紀後半に、イエズス会の修道士たちがモソス地域(1682年-1767年)とチキトス地域(1691年-1767年)に伝道所を設立したのが始まりです。ボリビアのイエズス会伝道所群は、南米におけるカトリック信仰との出会いの場となったと同時に、音楽という豊かな文化遺産をもたらした重要な拠点でもありました。
この布教活動によってもたらされた音楽は、もともと当時この地域で熱心に布教活動を行っていたロヨラ宣教師たちが、先住民への福音伝道の手段として用いたものでした。教会でのミサや儀式には音楽が積極的に取り入れられ、それが布教活動の効果を高めることとなり、先住民への音楽教育も継続して熱心に行われました。
1970年代には、スイス人建築家のハンス・ロス氏の監督の下で伝道所の修復作業が行われ、同時に長きにわたり伝道所内に保管されていた非常に多くの楽曲が復元されました。チキトスの伝道所では5,500枚、モソスの伝道所では7,000枚ものバロック・ルネサンス式の宗教音楽の楽譜などのコレクションが発見されたのです。これらの音楽は、17世紀から18世紀の布教活動中に、ヨーロッパの音楽家と地元の先住民によって書かれ、19世紀半ばまで伝道所で毎日演奏されていたとされます。
そして、復元された音楽を伝道所での典礼に再導入することを目的とし、1996年に中世ルネサンスとアメリカ・バロック音楽の国際音楽フェスティバル「ミシオネス・デ・チキトス」を開催する運びとなりました。修復された伝道所は現在、音楽祭の会場としても利用されており、南米における文化と信仰が交差する世界規模の音楽交流の地となっています。
場所:サンタクルス県チキトス(チキタニア)地方
開催日:隔年3月または4月
グラン・ポデール
ラパスで開催される「グラン・ポデール」は、ラパス市で最も重要な宗教的かつ文化的なフェスティバルの一つです。
その起源はチジニ地区にあり、「三つの顔を持つイエス」が描かれたキャンバス(絵画)がこの地に届いたことが始まりだといわれています。※このキャンバスの実態は、父と子と聖霊を表す「三位一体」の像が描かれた宗教画
チジニの住民は、この絵に対して独自の解釈を加え、「 (三つの顔を持つイエスの)右側には第三者(家族や友人)への祝福を、左側には敵への災いを、中央には自分自身への祈願を」という、本来とは異なる新たな解釈がコミュニティ内で広がりました。1930年頃には、キャンバスに描かれたイエスの中央の顔が浮き出るよう新たな塗装が施されました。このキャンバスは、「偉大なる力、主イエス」と崇め称えられるようになり、主イエスに捧げる音楽や衣装を纏い踊るフェスティバルがチジニ地区を中心に行われるようになりました。このフェスティバルが、現在ラパスを代表する「グラン・ポデール(偉大なる力)」の起源とされています。
当時、チジニ地区のみで行われていたグラン・ポデールは、ラパス中心街にまで広がり、今ではパレード参加者と観客数は数千人規模に上ります。この時期にラパスの中心街を訪れれば、フォルクローレ音楽を奏でるミュージシャン、その音楽に合わせて踊るダンサー、そしてパレードを楽しむ観客たちの熱気に包まれた、にぎやかなフェスティバルを体験できるでしょう。
また、ラパスではグラン・ポデールの他に、「エントラーダ・フォルクロリカ」と呼ばれるダンスフェスティバルも開催され、ディアブラーダをはじめ、トバス、ティンクス、そして後述の「ボリビアで踊られる代表的なダンス」などが披露されます。
ボリビアで踊られる代表的なダンス
モレナーダ(Morenada)
モレナーダは、アイマラ族に起源を持つといわれるボリビアで最も伝統のあるダンスの一つです。植民地時代に、ポトシやオルーロの銀鉱山で強制労働を強いられたアフリカ人奴隷の苦しみを表現したダンスです。女性ダンサーが纏う煌びやかでエレガントな装飾の衣装は、奴隷の雇い主の財力を表します。モレナーダで使用されるマスク(被り物)には、極端に飛び出た目と垂れ下がった舌がデザインされています。これは、高地で高山病を患いながら労働を強いられた奴隷の疲労困憊する表情が表現されています。
ダンサーたちは、「マトラカ」という小さな楽器を手に持ち踊るのが特徴です。逆L字型の形をした楽器の取っ手をぐるぐると回すことで、楽器本体と取っ手を繋ぐ歯車が噛み合い、“ギリギリギリ”という独特な音を鳴らします。この音は、奴隷の足に繋がれた鎖の音が鳴り響くのを表します。モレナーダは植民地時代の奴隷の苦しみと、彼らの誇り高く勇敢な魂を表現したダンスです。
カポラーレス(Caporales)
カポラーレスは、植民地時代にコカ栽培農園で働くアフリカ人奴隷の管理をしていた、「カポラーレス」というリーダーからインスピレーションを得たダンスです。男性ダンサーたちは、明るくカラフルで色とりどりの刺繍が施された衣装を身に着け、鈴の付いたブーツで地面を踏み鳴らしながら踊ります。彼らが手に持つ笛と鞭は、奴隷の統制を図るために使われたシンボルを意味します。軽快なリズムに合わせた軽やかなステップと、力強いダイナミックな踊りを披露してくれます。女性ダンサーたちは、袖の広い肩幅が強調されたブラウスを着用し、女性らしさと妖艶さを表す短いスカートを横に振りながら官能的に踊ります。
ワカワカ(Waka WakaまたはWaka Tokhoris)
ワカワカは、アメリカ大陸に上陸した雄牛を表現するダンスです。男性ダンサーたちは革で作られた動物のレプリカを腰周りに着用し、荒々しい雄牛を表現するダンスを踊ります。女性ダンサーたちは、何重にも重ね履きしたスカートを左右に大きく振りながら優雅なダンスを披露します。
ワカワカには、クチージョと呼ばれるキャラクターが欠かせません。クチージョは黒い猿のような人形を手に持ち、頭部を覆う雄牛の角を表すようなデザインをしたマスクを被ります。とても陽気で風刺的ユーモラスに溢れるキャラクターで、音楽のリズムに合わせ、アクロバティックに跳躍しながらダンサーたちをかき乱すように踊ります。
他にも、スペインの闘牛士に扮した「マタドール」や、牛の乳絞りをする娘「カイシージョ(色とりどりの羽飾りが装飾された帽子を着用)」が登場するなど、ワカワカは他のダンスに比べとてもバラエティに富んだダンスです。
クリャワダ(Kullawada)
クリャワダは、アイマラ族の織物職人にちなんだダンスです。男女のダンサーは、織物のシンボルとなる木製の糸車を手に持ち踊ります。他のダンサーたちよりもひときわ大きい糸車を持つ、「ワフリ」と呼ばれる案内人にダンサーたちは導かれます。ワフリは、大きな鷲鼻と、両耳に小さな人の顔が貼りついたとてもユニークなデザインのマスクを被っています。クリャワダは、結婚を控えた若者(カップル)で構成されるのも特徴で、結婚間近のカップルの背伸びをするいじらしさや戯れを表現したダンスになります。
リャメラーダ(Llamerada)
リャメラーダは、ボリビア高地特有のリャマの飼育(畜産業)をモチーフにしたダンスです。※アンデス地方で、ラクダ科の動物(リャマ、アルパカなど)を初めて家畜化したことを記念したものだといわれています。
ダンサーたちは、「モンテーラ」と呼ばれる、四つの角がある箱形の帽子を被ります。モンテーラは、スペイン人到来以前から古くよりアンデス地方の様々な先住民族に被られていました。リャメラーダの衣装は他にも、アルティプラーノの高地で畜産業に従事する人々が防寒・防風のために着用するポンチョを纏うのが特徴です。
男性ダンサーたちは、上述のポンチョを羽織り、ズボンにレッグウォーマー、サンダルを履き、手には縄を持ちます。女性ダンサーたちは、上品な刺繍が施されたブラウスを着用し、膝丈のスカートに、アバルカスと呼ばれるサンダルを履き、アワヨ(またはアグアヨ)と呼ばれる織物の中に銀貨を包んだバッグを持ちます。また、ダンサーの中には、口笛を吹くように唇をすぼめた表情が描かれ、畜産業に営む人をデザインしたマスクを被る者がいます。
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ボリビアのフェスティバル
1-7日